12月 30 2011

Knowledge and Wisdom. 年末アラカルトLAST日記  by kurota

(^.^) kurota hello!!(注)この日記は、個人のいわゆる妄想と夢で書いております。現実との名称等などとの架空の一致に関しては、深くお詫び申し上げておきます。また、いかなるイデオロギーや宗教(仏教・京都大谷派親鸞を除く)に関してニュートラルな立場で書いています。また、その他多くの情報を搾取して、書いていません。すべて80%はクロタ個人の妄想(思考回路)から生まれたものであり、ほとんどがオリジナルの日記です。残り20%に関しては、同一的次元の社会・世界に生きている関係上、なんらかの情報ソース(元)が入ってくるのは避けがたいので、意識の記憶回路に有るものを派生的に記述する場合があります。

2011年もあとのこりわずかな日数になりました。巷では、2012年の話題でなにかしらいろいろ言われています。経済・世界の金融関係・政治・戦争・災害・日本の原発問題等、いろいろな立場から予想と予言が行われているようです。
全体的はNEGATIVEな見方が大勢を占めているように感じます(クロタだけかな?)。
まあ、脳天気なPOSITIVE派や精神論者の方々には、どうでもいい事だと思います。そうそう、お金のある超富裕層の方々にとっても、権力者にとっても、NEGATIVEな見方はしたくないだろうと思います。

世界の金融や経済が崩壊するような事になれば、何のために財産を貯めてきたのかわからなくなり、自分の存在価値を根底から揺るがすことになるからだろうと思います。しかし、一部のウルトラ富裕層にとっては、それでもまだまだ生き残れる道があると思い描いているわけで、もはや雲の上の思考回路には、ついていけませんね。コントロールが上手くいけば、理想の世界が誕生すると思いますが、そう簡単に彼らが思い描くほど事が進むとはいえませんね。なにより、人間は考える葦であるし、その思考パターンは、千差万別なわけで、計画をリニア計画とすれば、人間の心はノンリニアなわけで、いかなる方向性に向くかは、余程の想定(^。^)あははは!のシュミレーションを用意しなければならないだろうと思います。しかしそのシュミレーションも多分、データをコンピュータが処理するわけですから、人間のこのカオス思考回路の感情や五感や思考を総簡単に数値的なリニア・シュミレーションで想定できるわけがないと思っています。もし、仮にすべてがそのリニア・シュミレーション+ノンリニア(僅かな変移)が上手くいっていたのなら、2012年も明るい話題で一杯なはずだからですね?。
しかし、かりにこうなる予想を想定していたなら、少なからず計画が上手く進んでいることになるわけで、コンピュータの足し算ONLYシュミレーション機能も大したものだと、評価するしかありませんね。

さて、(^。^)なにがいいたいのかわからない日記ですけれども、表題にある知識と知恵に関して少し書きたいと思います。(あくまでクロタレベルで)。そのような書籍もあると思いますので、興味のある方は権威付けされた書籍等を読まれることおすすめいたします。(ここでAmazonにリンクを貼ってアフェリエイトで儲けるという技があるのですが、アフェリエイトがきらいなのでしませーーん(^。^);。

教養の無教養、教養のある教養、教養のない教養、教養のない無教養、、、以下いろいろな割合での組み合わせがあると思いますけど?。

クロタは教養をKnowlegdeと考え、知恵をWisdomと考えて、むりやり日記をかくのであります。(すみません)

今、世界をみわたすと、いろいろな面で上記のような分類にはいるような事が起きています。いずれも人間の行動が根底にあるのですから、いずれかのパターンにあてはまる人間の行動によっておきているのだと思います。
細かく書くと((^。^);ヒヤヒヤ頭がまわらないのが理由です)書き切れないので、もうやめにします。ただこの言葉が重要だと思っております。いろいろな社会の問題や世界の問題に対して、これらのパターンで分類される人間が行動しているからだと言えるからです。賢明な方はわかってもらえると固く信じていますが、わからない人はそれでいいと思います。

PART-2


クロタもすっかり、島での生活にもなれ、自然と過ごす調和した生活を、地元の方々と暮らせるようになっていました。
海の幸や山の幸や陸の幸に、感謝と畏敬の念を込めて、生活させてもらっています。
文明を離れて、思ったのは難しい算数や学校などありませんが、心が素直にクリアーになっていることです。多くの人達は、目の瞳が澄んでいます。見かけは、それは多少貧しいのですが、人間の質として貧しいとは言えない感じがします。

文明からみれば、多少理解できない笑えるような儀式や慣習がありますが、それを除けば彼らなりにすばらしい生き方をしていると思います。文明の余計な教養のかわりに、彼らには自然に育まれた、知恵があります。それはある種の神がかり的な五感から発生する、電波のようなものです。真意や真偽を見破るするどい五感と自然からもらったするどい知恵の歴史があります。

人間が本来、失ってはならないものが、この楽園には満ち溢れています。それは澄んだ瞳に現れています。もちろんすべてがいいわけではありません。文明の医学があれば、すぐに治せる病や外科手術があれば、助かる命もあるからです。そんな歴史のなかで、文明の利点と島の生活の利点を上手く融合して生きるところもあるみたいです。

しかし、それが逆に島の慣習を壊して、文明の力によって差別や暴動がおきる原因になって不幸になることもあるようです。

PART-3
2012年の世界は、激動の年になるかもしれません。取り繕ういろいろなことも限界に達して、崩落するかもしれません。
そんな、感がするのです。動物的な感ですかね?。机上のエリートアナリストやエコノミストでもないのですが、なんとなく今までとは違って見えているのです。

知恵の時代になるのではないかなと思います。澄んだ瞳を取り戻すためのチャンスの年になるかもしれません。
知恵とは、いろいろな意味合いがあり、本来人間が太古の時代より持つ意識のこともいいます。本来、人間が共に生きるための知恵をはたらかせて、文明までつくりあげたように、もう一回原点に帰って、セカンド文明を構築するチャンスの年になるかもしれません。

邪悪な文明の集団と戦う事になるかもしれませんが、今、もう一度人間の本来の原点に立ち返り、世界全体で考えるときがこないと、一部の文明の科学・医学・金融・企業・その他の邪悪な利権を持つものに、世界は支配され始める可能性があるかもしれません。

(^。^)みんな! 裸になってもう一回、人間に戻ろう!!。 LOL  すみません!。

PRT-4
話題をがらっと、変えて絵画について、日記を書いています。

絵はすきなのですが、クロタにとってはセカンド的な趣味でありまして、あくまでFIRSTは音楽なわけです。

しかし、ある記事でリアル(写実的な絵が高い値段でうれているのと、その絵もみました)絵画というのでしょうか?。

どうも、そのことに関しては、反発してしまったので、ま美術関係のひとにはおこられそうだけれども、その絵画を書いているのが日本人の有名な方らしいですし、その絵画を買って貯蔵している何処かのコレクターがいるみたいです(お金持ち企業屋さんみたいですね?)。

しかし、クロタは今の時代で、なんでリアルな写実の絵画がいいのかわからないからです。なぜなら、大昔の写真もないころなら、大いに評価されたかもしれませんが、今の時代それこそ携帯のカメラでうつせば、ものの数秒もかからないで、現実の姿を保存できるし、再現できるからです。

リアル絵画を書くのには、ある程度の時間?と労力と色彩分析をする感覚とそれを再現する緻密な技工とお手ての器用さと根気がいるわけです。デジタルで絵を描こうとすれば。絵画ソフトでなんなくいろいろいじって仕上げることは簡単?
だと思えるのですが?。まあ個人差もあると思いますが、しかし、中世からの絵画の絵をみていると、そこにあるのは、写実性がけではなく、なんらかの人間的な、心情や作者の個性やもろもろの何かが感じられます。ピカソのわけのわからない女性の顔、マチスの筆の軌跡で表したような女体の絵画など、味わい深い何かがあるのですね。

クロタがみた、その某画家の写実的(写真絵画?)絵には、まるで、おおお!写真かと思える以外なにも感じませんでした。むしろ2度と見る気持ちなりませんでした。

きらいなんですね、リバースエンジニアリングを絵にしたみたいで、女性を表現した数多くの画家の絵からは、女性の持つ不思議な情感と曲線の美しさ、また内在する精神的な移ろいの様子などが、なんか感じられますが、そんな絵を写真みたいにリアルに描いて見せてもらっても、たんなる機械的な冷たさしか感じませんね。デッサンの頂点を極めたのかしりませんが?。

技工は音楽でも絵でも大切です。しかし、ふくよかな感情に迫るものは、技工+アルファ、またはリストの超絶技巧練習曲のように、ただメカニカルな凄さ等かもしれません。
技工だけなら、技工による作者の魂や、対象物の物語を感じ取れる必要があると思います。

小学生や幼稚園の子供たち、また絵画のアマチュアの方が思わず心を込めて書いた絵に感動するのは、技工だけではないのですね。音楽もピアノコンクール等聴くと、確かにうまい!しかし、なにも感じない。方やあまり上手くない、しかし音になにかつややかな響きがこもっている。またROCKもそうですね、下手糞でもなにか訴えてくるものがある、あららしいのに、なにか心に残るものがる。

芸術とは、不思議なもので、大芸術家だからいいもの常に発表できるものではないですね。むしろ無名の多くの方々に素晴らしい、オリジナルなすごいものを見出すときがあります。

なにをいいたいのかわからなくなったので、このあたりでやめます。

ただ、芸術におけるテクニカルな面は、生活や時間に恵まれて、多少の才能(アートの感覚ではない)があれば、だれでも人並み以上になれるとおもいますよ(個人差によって時間的に長短があっても)。

芸術とは、かくも永遠に不思議なものだと思います。

最後に、クロタのリアル絵(画材とかほとんどないので、単色系のものを、ちょっと問題ありの)を載せておきます。

全体を書く時間がないのと、それほど楽しくないので。

最後にクロタの考え(あくまで個人的な考え方です)。

すごい絵や音楽はこころで、こころを投影して、さらにそこえ何らかの心情なり魂を埋め込んでこそ、評価されるべきだと思います。
時には、病的な世界に入り込むほど、作者を追いついめるほど、それほど命を懸けるほどのものだと思います。