9月 7 2010

道化師  MASQUERADE  自殺(編集削除)  少しまずい日記です。by kurota

個人的指数 ☆☆☆☆☆ MAX

このブログの日記を読まれている方が、いらっしゃるようなので、編集削除いたしました。

いやー、9月なのに猛暑ですね。全国的に猛暑みたいですし、記録的なながーい夏みたいですね。季節も狂いはじめたのかな?。前稿でこのプログも1年になったとお伝え致しましたが、よくいろいろ書いたものだと思っております。つまらない、仕事用のプログだと、書く気にならないので、随分と逸脱したプログになってしまし、悪い印象をもたれた方もいるかもしれません。本来、メインNPからのLINKは外すべきだったし、LINKするならもうすこし考えてかくべきだったと思っていますし、反省するところも多々あるようです。(^。~)しかし、今さら路線変更しても、あとのまつりなので、このまま続行することに致しました。(続行しようがしまいが、なにも影響もないただのAHOOプログなので)

クロタが今頃きずいたのですが、プログと書いてある箇所は本当はブログとかくべきだったのですね。でも、どうもブログってなんかブロックとかブローとかグローブみたいで、日記に合わない感じで、ついプログにしちゃいました。プログだと、プロフィールとかプロンプターとかみたいに、なんか書くような発音ににていたので、ついプログを採用しましたが、これは実際、誤りの表現なので、ブログと以後かく事に決めました(^。^);汗。

タイトルに道化師とありますが、MASQUERADE(仮面舞踏会的)も自殺(物騒ですね)も含めて、道化師と書いたのです。道化師とは本来の道化師の意味がありますが、ここでは、いろいろな意味合いで使うために選んだ言葉でもあります。このブログにたどり着く方の中に、検索語に「自殺」とか「終わり」とか「死ぬ前に」とか、そんな感じの連結、或いは単語でここに訪れている方が、意外に多かったのでついびっくりして、このブログ内をみたら、確かにそれにHITするような、文字列がかなりありました。それで、なんか今時の社会情勢、景気、雇用、経済、不正、錯乱、紛争、天災、気象異常、躁鬱、ストレス等を考えると、そのような検索文字列を打ち込む方々が、もしかしたら多くなったのかなと思い、この日記を書いているわけでもあります。

まあ、真剣に思いつめてそれらの検索文字列を打ち込む方々は、少ないかとおもいますが、興味や社会情勢を知る意味で打たれているのならいいと思っていますが、もし、かりに何かを思いつめて打たれているのなら、心配になりますし、少しでも和らいでほしいと思っております。

道化師の市場経済は、お金儲けのための賭博師(失礼をお許し下さい)たちが、勝手にマネーゲームをして遊んでいるわけで、本来の市場の機能は、もはやとっくに終焉しているのじゃないかと思っております。株価がさがった、上がったとニュースで流して騒いでいますが、まったくの短期的な指標でその場その場で、さわいで、ちょっと上がれば続伸の言葉が踊り、ちょっと下がれば下落の文字が踊り、そのつどナニナニエコノミストのアナライズレポートが、掲載され、ああ、いつまで、なんでこんなに踊りまくっているのか、あまり理解できません(あくまで個人的な感じ方です)。道化市場ももうウンザリなのですが、所詮、お金のマネーゲームのバトルを雲の上で勝手やって下さいといいたいのですが、しかしそれだけではない事も、承知しております。まともに資金の運用をして、そこから利益を生み出し、還元するということも行われている(多種多様な形態)わけですね(重ねて個人の感じかたなので、怒らないでくださいねお願い致します)。証券市場といえばなにやら高度な品位ある感じに聞こえますが、クロタには、単なる高級賭博場にしかみえないのですが(すみません、個人の感じかたですので、フィクションです)、まあそんなことどうでもいいことですね。

ある道化師たちは、仮面舞踏会を踊ってみせています。真実などどこにあるのかわかりません。一般社会でも、地域社会でも、すっかり仮面をつけた道化師達が踊りまくっています。何も知らず、いつの間にか巻き込まれて、気づいたときには、自分もすっかり道化師の舞踏会に参加して踊りまっくて、いや踊らされているのかもしれませんね。

道化師に馴染めない、踊れない、仮面の息苦しさに限界を感じ、仮面をはぎ取れば、いつの間にか絶望の深淵に立たされてしまっていたり、あるいは、悲しみと絶望の顔を道化師のようにかくし、さらに仮面をつけてすべてをなげだして、踊り狂う日々を送っている姿があるかもしれません。

道化師(ピエロ)これほど、対極をなす表情をみたことがありません。笑いと悲しみ、生と死、喜びと絶望、天国と地獄、いろいろあるのですが、道化師に一番にあうのは、その笑いの瞳から流れる涙が、なによりもにあっているような気がします(あくまで、抽象的な個人てきな感じ方なので、深い意味合いなどありませんし、思慮もふかくないのです)。

自殺を仮に考えている方がいるのなら、いろいろなサイトで、自殺などしなくても、その気持などふっきれるようなサイトを探して、生きる方向にエネルギーを使われることを、望みます。しかし、自殺することに関しては、いろいろなパターンの慰めや、引き止めの文言があります。今日のような情報社会では、それらの事をすべて聞いているうえで、なんら解決の糸口や方向性がみいだせないうえでの、決断かもしれません。私は、偽善者でもないし、慈善運動家(できれば、この運動をしたいと思っていますが、自分が対象になる身分なので、今はできません。)でもないので、自殺を志す方の、深淵なる心の中を知ることもできないし、誰も同じような心に100%同化できるわけはないと思います。自殺する方に宗教的な幻影を説いても、その宗教さえ戦争しているわけですから、なんら効果は現在では、もう力はないと思います。自殺を肯定も否定もしません。しかし、自殺しなければ、それによって救われる人がいるかもしれませんね。人の運命の糸はどこで、どう繋がっているかわからないものですからね。

以下の内容を削除しました。ブログでなく別サイトで、書く事にしました。