(^.^) 猫たちによる、「猫たちの夏」 経済と猫 雑感
「官僚たちの夏」とか、テレビでやっているのみたいでしたね。日本の官僚のすぐれた面と活況を謳歌する日本産業のノスタルジー的な要素もあるように思いました。ドラマなので、原作とはちょっと違った面もありましたが、この小説は最後まで、読まれた方がいらっしゃれば、すべて上記の状態を守っていける観点は消えていくように感じられたのではないでしょうか?。
前にも書きましたが、うちの庭に集まってくるのら猫達ですが、だんだん居心地がいいものですから、庭を中心にテリトリーを維持しているみたいです。庭に登場する前までは、生きるためにいろいろな、情報や生きるための技術?を磨いてきたのだと思いますが、庭に住み着いている猫ちゃんは、むしろだんだんその技術が落ちているのじゃないかと心配になります。なによりも庭猫(住み着いた猫のこと)たちは、根本的に生きるための食事に、不自由しなくなってきたこが原因かなと思います。確かに、体は痩せていないし、目もだんだんきれいになってきたし、毛並みもポワポワとよくなってきています。よくとうりすがりに見るのら猫ちゃんよりも、かなりいい外見になってきました。
まあ、私は猫の生態的な本能など、動物の生態には、ほとんど詳しくないので、だいぶ見当ちがいもあるかもしれません。
で、本題の「猫たちの夏」ですが、そうやって保護された猫達は、だんだん広い荒野の本来の猫族のテリトリー競合大会や食物獲得競争などの、力を失ってきているのではないかと心配なところもあります。私が餌を撒き散らすのをやめたら、庭猫達はどうづるのかなと考えることがあります。またもとどうりに、餌の獲得ルートなど、テリトリーを横断して戦いながら野性にもどれるのかと?。
さて、ここで話をPC関連産業に移します。庭猫は国内PCさんぎょうなわけで、広い荒野を生き抜いている猫を世界のPC産業とすると、まさにそこには、今の日本経済の鏡があると思います。これ以上は書くことができません。ここは個人のプログなのですが、公につながっているHPがあるからです。あとおわり(^。^);。