NEVER PART-1 by Kurota-hightpower
海に陽が落ちてゆく。だんだんオレンジ色に空が色を染めてゆく。今、俺は南の小さな島で静養しながらこれからの人生を考えている。
傍らの白い丸いテーブルの上には、冷えたワインとビールが置いてある。小型のラジオで音楽を聴きながらビーチチェアにゆったり深く包まれている。海のさざ波の音を聴きながら、心地良い時間が流れていく。
そっとチェアの側に手を伸ばし、バッフの中からあるものを取り出した。取り出したものをじっと見つめて俺は、、、、、、、、、、、、、
静寂の時間が流れていく、、、、、、、なにも聞こえない、、、、、、、、、、。
いつのまにか
夕日は静かに夜の星空へと変わってゆく、、、、、、、。
時は1960年代、俺はあるアジア地域の紛争のために大国の兵隊として戦地に赴いた。熱帯雨林を思わせるような暑さとジャングルのような沼地、毎日が俺にとってかなりつらい日々になっていた。
雨が激しく降る時もあった。汗まみれに成る時もあった。しかし、気を緩めるような事はできない。なにせここは戦場なのだから!。
M-16自動小銃、手榴弾、どれも疲れた身体には重いものである。しかし、生死をかけた戦場ではこれらが命を守る道具なのである。
爆発音、ヘリコプターの音、機銃の音、激しい戦闘になる時もある。戦友を何人か死んでいった。幸い俺は生きているが、生きているうちは戦いの日々であり、生死の堺を彷徨う抜け殻の人間のような気持ちにもなる。戦争は過酷だ、一瞬で自分の人生の歴史も未来も失ってしまう。敵として戦う兵士達もみな同じ思いで戦っているのだろう。
それに加えて、マラリア等の病も蔓延する場合もあり、陣地のベットは負傷した兵隊や病になった兵隊で一杯に成る時もある。そんな時は輸送機がきて、本国に運んでゆくのであるが、かなり重症な者が多いのである。
戦争とは、映画等でみるような戦争シーンとはまるで違う。勇ましい者などいるわけがないのである。つねに緊張と恐怖の連続で、熱くなくとも汗が流れてくる。戦場にながれる、腐臭や悪臭、弾薬の臭い、焼け焦げたような臭い、そして死の霧に包まれているような、とても映画やブログ等では(^。^)あら!表現できるようなものではない。(だんだん乱れ始めてまいりました(^。^)あは!)。
そんな、兵隊達にも休みの日があるのである。休みの日ではあるが、一般の休日気分ではない。自分の銃器の手入れ等も行わなければならないし、負傷しているものは、治療を受けたりいろいろな時間にあてられるのである。
俺は、運良くたいした負傷もなく、今この休日を過ごしている。今日は、市場に行って何かしら食べ物や飲み物を買いに出かけようと思っている。ここの指令本部から約50Kmくらい離れたところに、この国の市場が開かれているのである。
俺は、他の兵隊といっしょに、ジープ(ワゴンR 4WD ではないのが悲しい)で市場にでかけたのであった。
市場に着くと、多くの地元の商人や住人達(点在する村々の人達である)で、市場は賑わっているようだった。ペルシャの市場ではないので、ペルシャ絨毯はないのである。ペルシャの市場の音楽は素晴らしい音楽だと思っている。で、ここはペルシャではないのであるが、俺はペルシャ猫であるもともと。
またまた脱線するのがこのブログの特技であり、多分作者の頭のキャパシティが低い、つまり頭が悪いからで、どうも脱線すのである。脱線しないで書いてみたいものであるが、そうなると文学小説になって芥川賞にノミネートされるとこまるから、わざと脱線すると作者が言っていたが、(^。^)馬鹿も休み休みにしろ!と言ってやった!。
で、休みなので市場にいるわけであるが、いろいろな果物や酒等もあるし、日用品等の雑貨類も売っているのである。THE PACHINKO HALLはないのであるが、あんなものをする奴は、大抵、甲斐性のない奴が多いのである。戦場では甲斐性は関係ないのでホッとするのであるが、なんでいつも甲斐性がでてくるのか、まったくわけがわからない物語である。
市場には、そこそこ地元の美人らしい女性を見かけるがこの国はかいわれ大根じゃなくて、戒律がきびしいので、礼儀としていやらしい事など考えてはならないのである。我々はこのような一般人を敵の攻撃から守るためにも派兵されているわけだからである。ところが、皮肉にも我々と戦っている敵は、つまり同じ同国の反政府ゲリラであり、なにかしらこころが痛むのである。
俺が、市場でバナナを買おうと思って、バナナを並べている屋台にいったら、見た目は綺麗ではなのだがいかにもバナナらしいバナナが並べてあった。
バナナを並べているおばさんに、片言の現地の言葉で「バナナを売って」と言ったら、なんとそのおばさんは英語で話かけてきたのであった。(^。^)うお!英語だ!困った~と思ったが、一応、今回は英語圏の兵隊なので、わかる事になっているのである。
おばさんに、なんでそんなに英語が上手いのか訪ねてみたら、自分の死んだ夫が実は英語圏の男で、それで英語を話せるようになったという事であった。なんで死んだのかと聞いてみたら、はやりこの戦争の犠牲者になっている事がわかったのであった。
しばらく、おばさんと話をしていたら、可愛らしい小柄な少女がお店にやって来たのであった。「こんにちは」と少女は俺に沙汰をするので、俺も少女に沙汰を返したのであるが、少女もまた英語で沙汰をしてきたのであった。お帰りとおばさんが少女に言ったので、おばさんに娘さんかと尋ねたら、「わたしのたったひとりの娘で、死んだ夫との間に生まれた子供だと」言っていた。
なぜか、この少女は俺になついてくるような感じなので、なんか自分の子供のようにも感じて、その後、市場にゆくたびに、ここに立ち寄るようになっていた。
少女の名前は、リコと言っておさげが可愛いらしい、女の子であった。