幸せな貧乏と不幸なお金持ち。世の中いろいろだから面白い。 by kurota fire

(^。^)最近、ブログが幾分マイナー路線で書かれていますが、果たしてそれでいいのかどうなのか?。まあ個人の勝手なブログであるし、アフェリエイトして儲けるつもりもないし、人気ブログになろうなんて思ってもいないのでどうでもいいのですが、少なからず読んでくださる方もいるかも?しれないのであまりネガティブな話題だけではいけないかなと思います。

世の中に不満がある人ほど、いろいろとネガティブに考え、悲観的な予想がすきなのかもしれませんね?。しかしそうじゃない方もネガティブに考え、悲観的な見方をしている人もいるようですし、その全く逆のケースもあるみたいですし、一体なにがなんだかわからないのが本音です。

お金の保有量と知的水準、本来のもって生まれた性格や資質、また育った家庭環境などでもちがうようですし、また教養のレベルでもちがうみたいな気がします。

つまり、世の中に不平不満をいったり、悲観的な未来を願望するような傾向は、いろいろなパターンの人間がいるという事ですし、全く逆の世の中を受け入れ楽しく、楽観的な未来を願望したり思い描く人もいろいろなパターンの人間がいるということです。

クロタだって、たとえば例によってまたまたカワイコちゃんがでてくるのですが(すみません(^。^);)、そんなカワイコちゃんと恋愛中であれば、世の中平穏無事であることが望ましいし、経済が破綻するなどという事など考えもしませんね。ところがまったく逆の考え方をする人もいるわけです。

世の中に、あんなに幸せそうな人なのに、なんであんな事をしたんだろうとか?、あんなにお金も地位もあるのになんであんなつまらないことをしたのだろうとか?。いろいろな事がおきているわけです。その逆では、立派な事を利他のためにおこなう人もいるようです。

(^。^)前置きがなんかわけのわからない事を書いていますが、クロタのネガティブなブログは、クロタの性質や性格から書いているわけではないのです。いろいろな世の中の事柄を体験しながら、そこからうまれた考えを書いているわけです。不平不満だらけなら、今頃は刑務所かチ?ピラになっていると思います(^。^);ひやひや。

つまり、世の中の幸、不幸の尺度などなにもあてにならないという事と、楽観的志向と悲観的志向は、なんの尺度もあてはめる事ができないということです。

で、以上の非論理的定義を自分勝手につくって、またネガティブなブログを書いていこうと思うわけです(^。^)あはは。

今日は正月から続いたお休みモードだったわけです。明日からいよいよお正月気分も抜けてなにかしら、やっていこうと思っています。


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