ある偉大なる恩人の思い出 PART-1 by M.shimizu (kurota)
たまにはまじめにブログを書こうと思う気持ちになった。いつもまじめに書いているのですが、今回は少しばかり私の人生に影響を与えてくれた、ある一流シェフの思い出なので、妄想やギャグは抑えて書こうと思います。
私が、恩人であるシェフ(S氏とさせて頂きます)とであったのは、私がちょうどインターネットの業務を始めて2年位たったときでした。
この頃は、日本ではまだまだインターネットは、創成期(始まったばかり)で、ほとんど現在のようにポピュラーな存在ではなかったのです。現在ほどインターネットに関する書籍やソフト類、及びハードウエアーなども、限られたものしか存在していませんでしたし、インターネットの接続料はかなり高額なものでした。接続にはMODEMというものを使っていました。現在のような光回線など一般には使えるレベルではなかったのです。その通信速度はおそろしいほど低速なレベルで、とてもじゃないけど、動画を観るなんてできるような速度ではなかったのです。(わからない語句はWIKIなど調べてくださいね)。
そんな時代を背景に、私はHP(ホームページ制作)制作を業務として開始しました。今のHPから見れば笑えるようなようなレベルであり、当時はSONY等ごく限られた日本企業が、HPをもっていました。
2年位たつと、さすがにインターネットも認知(まだ限られた人達)されはじめ、書籍やソフトウェアもボチボチ出始めていました。
そんなある日、私の事務所にあまり身なりの良くない感じの人がやってきました。最初はただのおっさんかなと思って、あまりまじめに相手にしなかったような気がしまします。しかし、彼は私にインターネットで商品を販売したいと相談してきたのでした。冗談だろうと思って、制作費用を50万から300万かかりますよと彼にいったら、驚いたような感じになりました。彼はそれでも考えさせてくれと言ってしばらく黙って座っていました。私は、意地悪したのではなく彼がどの位本気なのかたしかめたかったのと、私のところ以外に依頼する気持ちになるのかたしかめたかったのです。その日はそれで彼は帰っていきました。
もう、こないだろうと思っていたら、次の日また彼がやってきたのでした。どうしても私に作って欲しいという事を彼はいいました。なんで私なのか聞いたら、理由はともかく私に作ってほしいという事でした。そこまで言われれば、男として嫌だといえないので、私は了解しました。彼は制作費用として30万前金でだすと言ってきました。
私は、そんなにいらないと彼にいいました。彼はそれでも30万とにかくだすと頑固にいうので、私はだんだん腹がたってきて、(てやんでー)って感じで、そんなに私を信頼してくれるのなら、10万で全部やりますよーーーー!と言いました。彼は驚いた顔をして、いいのかね!いいのかね!と何度も言うので、男に二言はないと言いました。本当は制作費用とスパンを考えれば10万でできる余裕などありませんでしたが、喧嘩しながらお客になってくれる彼に男をみたから、それでいいと思ったのでした。
彼は、一流のシェフだったのです。後でそのことをしり、びっくり仰天したのがわたしでした。
彼の仕事場は、 レストラン フレジェールでした。この絵とロゴはある画家が書いたものを、書いた人の了解を得て、私が少しアレンジしたものです。
思い出の レストラン
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